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晴天に近かったが、P駅は風が強かった。昔、この地には駅がなかったという。市街から遠く離れた丘陵地に公営団地が建ち始め、小さな商店街ができ、駅ができ、大手のスーパーもやってきたというP市の西外れにある地区だ。谷間を貫いていた線路の上に高架橋を渡し、その下に駅をこしらえた。谷の駅には夏も冬も一年中風が吹き抜ける。帽子を片手で抑えながら改札への階段を上り、通り抜けてからさらに地上への階段を上がる。西部公園は陸上競技場、野球場、ソフトボール場、テニスコートなどを備え、豊かな緑に囲まれ、全体を一周できるように設計された六十ヘクタールはある大きな公園だった。中央広場にそびえる時計塔が眺められるベンチに腰を下ろした。時計塔の回りから噴水が吹きだし淡い虹が架かる。ここに時々やってくるようになったのは、三月の中ごろからだった。 ぼくは思い出していた。陸上競技場に沿って流れている川の対岸にある小径のベンチに座り、川岸に燃えるレンギョウと雪崩れるユキヤナギを眺めていたときのことを。その時期には中天を越えて、西に傾きかけた陽の中にレンギョウはクリムゾンレッドの葉先をオレンジに染め、白いユキヤナギはしなだれるほどに暗い影をおとしていた。その対比が火口から流れ出る溶岩のごとき血と膿とガーゼをぼくに思い起こさせ、痛々しく、胸を息苦しいまでに圧迫した。しかし、そのときから、ここは再訪すべき場所となった。 青天井の下、ぼくは間欠泉のように規則正しく水柱を出現させる噴水を見ながら、炎天下のアルコールの酔いに身を任せていた。そのとき、携帯電話が振動した。相手はUだった。Uは数少ない、気の置けない女友だちで、いつもぼくが酔っているときを狙ったかのように電話をかけてくる。 「元気にやってる?」 と彼女は切り出した。 元気もなにも、ぼくがある種、難病の持ち主であることは彼女が三番目に知っているはずだ。一番目がぼくで、二番目は医者だ。 「今週、いつでもいいから会ってほしいの。昼からなら時間とれるでしょう」 「時間はあるけれど、暇というわけじゃないよ」 「それは知っているわ。あなたが散歩にお忙しいことは。だから、わざわざ電話をしてお伺いをたてているんじゃない」 「それはどうも。それじゃ、ぼくが、今、お忙しいのも分かっているよね。電話じゃ言えないこと?」 「まあね。話は複雑なのよ。どうせ、毎日、昼間のビールに酔って、公園をぶらぶらしてるんでしょ」 「酔ってはいるが、今は、ぶらぶらはしていないよ。ベンチに座っているんだ」 今日はなぜか言葉が乱暴だった。出版社の男のだるい饒舌のせいかもしれない。 「えらくご機嫌が悪いみたいね。まぁ、いいわ。わたしが決める。今週の土曜日、一時、いつもの所でね」 と言うと、向こうも機嫌を損ねたのか、一方的に電話を切ってしまった。 Uは短大を卒業して二年間OLをしたあと退職し、現在は写真の専門学校に通っていた。ぼくより十五歳下だったが、Uと話すときは歳の差を感じることなく、いつも気楽に打ち解けていた。 彼女はぼくのことを、ぼくの回りにいるその他大勢の女性がするように、過小評価も過大評価もしなかった。ただ、観察するだけだった。観察して、ぼくの中にぼくの物語をつくり、自分の適役を定める。そして、いつも、ぼくを社会というものにソフトランディングさせようとする黒子との一人二役もこなしていた。ぼくは気づかないふりをしていた。黒子を指差して公衆の眼前にさらすのは、誰にも許されていないはずだ。そして彼女は、ぼくが気づいていることを隠しているのも了解していた。 いつのまにか、雲がでてきて、陽が陰り、やがてひと雨きそうな空合いになってきた。噴水を挟んで真向かいにある藤棚の下に座っていた中学生らしき二人連れも、デイパックを肩にかけて帰ろうとしているみたいだ。陽気に満ちた時間が終わろうとしていた。そろそろぼくも、腰を上げ、夕飯の材料でも買いに駅前の商店街に行かなければならなかった。 .........つづく
by alnovel
| 2007-04-26 23:28
| 酒精小説
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